Vol.4 「世の中の理不尽さへの対処法」
こんにちは! 池袋バランス力学整体院の山本浩一朗です。
7月に入り、そろそろ夏本番ですね。「先生の母校が地区大会で優勝しましたね。おめでとうございます!」と数人の方から、お祝いしていただきました。関西高校野球部が春の中国大会で優勝したのですが、甲子園以外の大会のことも気にかけていただき、ありがとうございます。5年ぶり夏の甲子園出場と初の全国制覇を実現するために、選手・監督をはじめ関係者の方々が日々取り組んでいるようです。結果がどうなるかはわかりませんが、ベストを尽くしたと思えるように一生懸命やりきってほしいと勝手ながら願っています。
さて、前回のコラムでは『理想と現実がつながった目標設定』をお伝えしました。今回も色々とご感想をいただきました。「抽象的って悪いイメージがありましたけど、とても大切ですね」、「私の会社の社長は抽象的なことをよく言うのですが、その意図がなんとなく理解できるようになりました」・・・・・・などなど。
また、「ココに来る前の私は、完璧主義者で承認欲求が強かったです」とも。ただ、そのような人は多いと思います。「完璧主義」・「遂行目標」という2つの心構えをもつことは、日本の社会や教育で「いい子」と評価されやすい環境ですから。本人が意識的に気づくまでは、ある意味仕方のないことかもしれません。
さらに、「以前は世の中に対して『理不尽だ』、他人との関係で『不公平だ』とよく感じていたのですが、こちらのプログラムを実行してから、あまり感じなくなりました」と。いやぁ~、スゴい効果ですね(笑)。もちろん、この結果は私の力ではなくご本人の力ですが、こんなキッカケになれて、とても嬉しいです! そこで、今回は世の中の「理不尽さ」や「不公平感」についてお伝えします。
私たちは、何かしらの目標を達成しようと日々様々な行動をしていますが、多くの場合は「ムダ」なものに終わって、無力感が残ったりすることもありますね。また、客観的にみれば「ムダな抵抗」に終わっているように見えるケースが多いです。そんなときに私たちは、世の中に対して「理不尽だ」、「不公平だ」と感じやすいものです。なぜ、そのように感じて苦しむのでしょうか?
私たち人間は、法則やルールで抽象的に表現することで賢くなってきました。ですので、この世の中を支配するような「一般的な法則」の通りの状態だと「理にかなっている」と認識しやすいです。逆に「理不尽だ」というのは、そのような「一般的な法則」や「あるべき姿」と反している状態を指している場合が多いです。つまり、「理にかなっている」状態と実態とのギャップが理不尽の根源だと言えます。このようなギャップを認識したときに、多くの人は「世の中」の方が間違っているという前提で考えがちです。
しかし、私たちが常識と思っている一般的な法則というものの多くは、普遍的なものではありません。客観的な証明をしている物理の法則と違って、私たちが思っている「理にかなっている」といったものは、時代や地域の環境などによってつくられた単なる「思い込み」であることが多いです。逆にいえば、そのことに気づいていないことが、多くの「理不尽さ」の原因になっています。勝手に思い込んだ幻想を「理」だと勘違いすることで、「理不尽」だと強く感じてしまうのです。
そして、理不尽さを感じる根底には、「すべての人間は公平だ」という前提があるケースが多いです。多くの日本人が「公平であるべき」と教えられてきた影響もありますが、現実は違います。世の中は「公平」ではありません。生まれながらにして、家柄が良い、恵まれた才能、好まれやすい容姿など、人は生まれた瞬間から異なる環境や資質を持っていることは明らかです。
また、公平さの基準も人によって異なります。例えば、教育の公平性ひとつとっても「同じ教育をする」ことを公平だと捉える人もいれば、「能力に応じた機会が与えられる」ことが公平だと捉える人もいます。会社の給料も同じですね。これらは基本的に相容れない考えです。人の数だけ「公平さ」が存在するのです。
私たちは「自分が他人に対して考えていること」は、「他人が自分に対して考えていること」と同じだという錯覚をしてしまいがちです。全く自覚していないことはないですが、その傾向があるという自覚が薄い人が多いです。このような錯覚が、「なんで分かってくれないんだ!」というコミュニケーション上の理不尽さにつながったり、「アイツばっかり得して、自分だけ損をさせられるんだ!」という公平性に関する理不尽な思いにつながったりしています。
人は自分を中心にしか物事を考えることができません。私たちが持ち出す「公平さ」は、結局のところ「自分にとって都合のよい公平さ」でしかありません。これを自覚できていればいいと思います。しかし、「世のため・人のため」といって公平さを振りかざす人は、その自覚がないため「たちが悪い」場合が多いですね。そもそも「誰もが認める公平性」など存在しないのに、あたかもそれが存在するように勘違いする人が多いので、「理不尽」がいつまでたってもなくならないのです。
その「理不尽さ」への対処法の1つとして、「理不尽さ」を感じるのは「世の中が間違っている」のではなく、勝手に都合のよい解釈をしている自分の考えがおかしいという自覚を持つことです。私たちの考え自体が「理不尽」で「矛盾」しているのです。努力したことが結果的に「ムダな抵抗」になってしまう原因の1つは、「自然な流れ・法則」に逆らっているケースです。どこかに「無理」が生じている状態です。
言い換えれば、基本的に世の中の構造が理不尽にできているだけであって、むしろそれが自然であり、「理」なのです。世の中を理不尽だと捉えることが理不尽なことなので、自然に抗っても「無理」なのです。「無理」というのは、「理が無い」こと。だから、「ムダな抵抗」になるのです。
私たちが世の中に抱く 「理不尽さ」 は、起こっている現象が原因ではなく、自分たちの頭の中にあるのです。「人間の頭の中こそが理不尽だ」という事実を受け入れられれば、「理不尽」が「理」に変わります。この前提を持っていれば、ほとんどの「理不尽」は解決して、「不公平」があっても怒りを感じることが少なくなって、「ムダな抵抗」をしないで生きやすくなると思います。
バランス力学整体院では、ほとんどの人が結果を出している改善法を提供しています。ただ、多くの人が思い込んでいる「常識」とは異なるアプローチですので、最初は戸惑う人もいます。しかし、半信半疑でもプログラムを続けて痛みなどの症状を解消することを通して、自分にとって良くも悪くも思い込みの力を体感されています。その経験を活かして、いまの自分に不必要な様々な思い込みを自覚して手放すことで、ムダな怒りや憤りを感じることが少なくなっている人が多いです。
ただ先述した通り、これは私の力ではありません。私はたまたまキッカケになっただけです。私の仕事に限らず、「他人を変えよう」「気づかせよう」というのは、「ムダな労力」です。もっといえば、自分が気づいていないことにすら気づいていない人にとっては、余計なお世話です(笑)。だから、むやみにどうにかしようとしても無理なのです。
「気づき」は内発的なものです。外部が大騒ぎして無理やり手を差し伸べても、その労力はムダな時間になってしまいます。ただ、だから人に伝えるのは意味がないのではありません。だからこそ重要だと思っています。「変わってもいいかも」と思ってもらえるキッカケに結果的になれればいいなぁ~と思って、私は痛み改善プログラムを提供しています。
ただ、これは「私にとって好ましい」形ですので、私がこのような考えで接することを快く思わない人もいます。「先生らしく厳しく指導して欲しい」、「サービスを受けている客の方が偉い」・・・・・・などなど。私との間に強い上下関係を求める人もいます。でも、それでは私が望む結果はでません。1人ひとり想いは違いますので、多少は対応しますが、あくまで無理のない自然な範囲。私は1人の人間として皆さまと向き合って、互いに協力し合っていきたいと考えています。私は皆さまに協力しますが、皆さまからも協力していただいています。「皆さまのカラダの悩みを解決したい!」という私の欲求をいっぱい叶えていただいています。
治療院でよくみられる先生に患者さんが依存して、依存した患者さんに先生が喜びを感じる「共依存スタイル」ではなく、しっかり結果を出していくために皆さんと私が2人3脚で取り組む「相互協力スタイル」で今後も私はサポートしていきたいです。改善を目的としない奉仕スタイルや共依存スタイルが「一般的」な時代の中で、世間的にはある意味「理不尽」なスタイルで私に仕事を続けさせていただいているのは、皆さまのおかげです。本当にありがとうございます! 今後もお互いに協力し合っていければ、嬉しいです。
『あなたがいつまでも元気でありますように・・・』
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!
院長 山本浩一朗