池袋で結果が出ると評判の整体 バランス力学整体院

Vol.1 「本当の自分を生きる」

 こんにちは! 池袋バランス力学整体院の山本浩一朗です。

 年が明けて1ヶ月ほど経ちました。冬本番ですね。今年の立春は2月4日。この日を寒さのピークに徐々に春めいた天候に変わっていくと言われています。立春は二十四節気の第1で1年の始めとされ、季節の節目はこの日が起点になっているとよく言われます。なので、立春の前日が季節の区切りとして季節を分けるという意味で「節分」と言われています。新しい1年の始まりの前日に邪気・厄を払うための行事に豆まきがありますね。節分に豆まき、立春に華やかにお祝い事をして楽しむのもいいですね。

 さて、前回のコラムで「日本人に『プラス思考』が合わないワケ」をお伝えしました。実は、この話は皆さまにお伝えしない方がいいのでは?という気持ちが私にあり、書くことをためらっていました。「勘違いされて悲観的な考えを正当化する人がいるかも」と。しかし、いざお伝えしてみると「とてもスッキリしました」「今のままでいいんだと楽になりました」・・・・・・などなど。いやぁ~勘違いしていたのは私でしたね(汗)。上手く伝える自信がなかっただけでした。ごめんなさい! また、素敵なご感想などありがとうございました! 最近のコラムでは「好き嫌いで判断しちゃダメ」、「いまを生きなければダメ」、「ポジティブに考えなければダメ」といった社会通念的な束縛の副作用について書きましたが、今回は「自分らしく生きなければダメ」をお伝えさせていただきます。

 「ありのままの自分を生きよう」といったフレーズを近年たびたび聞くようになりました。これはいい傾向だと思います。他人や社会に合わせ過ぎて我慢するのではなく、自分らしく生きていくことはいいことです。ただ、欧米から輸入された自己啓発業界やスピリチュアル業界の影響からか、このフレーズに縛られて疲れている人も多くなっているようにも感じます。そのような人の傾向は「本当の自分」と「ウソの自分」を分けることで苦しんでいる人が多いと思います。

 例えば、私は接する相手に合わせて、自分のキャラが変わります。学生時代の友人には気さくに接して、取引先にはある程度丁寧な言葉遣いで接しています。ここで私は学生時代の友人と接している自分が「本当の自分」と設定していたとします。そうすると取引先の人と接しているときは「ウソの自分」になります。そうなると「取引先の前では相手に合わせて自分らしく接することができない」とありのまま生きていない自分を責めてしまうかもしれません。また「もっとできるはず。今の自分は本当の自分じゃない」と自己否定感が強くなるかもしれません。

 しかし、私にとってはどのキャラも「本当の自分」です。心身がどんな状態であろうと今この瞬間にいる私が「本当の自分」です。どこかに確固とした絶対無比の「本当の自分」がいるわけではないのです。このような感じで自分が設定した「ウソの自分」に対して自己嫌悪を感じて苦しんでいる人が増えている気がします。なぜそのようになっているのでしょうか?

 成熟していない心理状態の特徴の一つとして、ものの見方を二元論的に捉える傾向があることが挙げられます。「善・悪」「白・黒」「正しい・間違い」といった感じです。二元論で世界を見ると、世の中には「良い人」「悪い人」が存在することになります。しかし、心理的に成熟していく過程で、世の中に「100%悪い人」もいなければ、「完全な善人」もいないということがわかるようになりますね。完全な白でもなく、完全な黒でもない。人は皆グレーな存在です。そのことに気づいてグレーをグレーのまま観ることができるようになるのが心の成熟の1つの段階です。

 ただ、そのことが楽に感じない人もいます。それは、自分の中の矛盾する要素を矛盾するまま認めて、その矛盾を抱えて生きることでもあるからです。ですので、成熟していない心理状態の人が、自分の中の矛盾をありのまま直視すると、不安に襲われて心が不安定になっていきます。そうなると心の安定を保つため二元論的に世界を分けるのです。例えば、子供が視るTV番組の定番に「正義が悪者を倒す」というものがありますね。悪者を倒すというのは、悪なるものを排除するということです。子供にとって心の安定を保つためには、世界を善と悪に分けて、悪なるものを排除する必要があるのです。

 大人も同様です。例えば感情。自分にあるすべての感情を完全に受け容れることは難しいですが、ある程度受け容れるには心の器の大きさが必要になります。心に余裕がないときは、自分の感情を「良い感情」と「悪い感情」に分けたりするものです。そして「悪い感情」が自分にあることを否定することによって、心の安定を保とうとします。これと同じように、「本当の自分」と「ウソの自分」に分けて、「ウソの自分」はないものとして排除しようと努めたりしているのです。この方法は大人でも一時的には楽になるかもしれませんが、習慣化すると不自然なので自分の心身を苦しめる結果になりがちです。

 では、成熟して心に余裕がある人はどんな人なのでしょうか? 明確な答えはないですが、あえて言えば自己受容力が高い人、具体的にいえば、自己開示ができて自然体な人ではないでしょうか。例えば、人間的に素晴らしいと言われている人は、自分の能力や評価が高いところも低いところもすべて受け容れている人です。だから、自信に満ちて謙虚な人が多いです。「私にはこんな至らないところがある。それを周りの方々が助けてくださっているから、私は上手くいっているのです」と。かといって「どうせ私なんか・・・・・・」と卑屈に開き直ることはありません。そして、会うたびに矛盾しています。「優しくて厳しい」「大らかで細かい」「真面目でいい加減」・・・・・・などなど。これは自分の様々なキャラを否定することなく受容しているからです。この習慣があると意識的にキャラを使い分けたり切り替えたりしないで、その場面によって自動的に変わるようになっていきます。自然になめらかに全てのキャラが溶け合うように。

 逆に成熟した大人がキャラを限定しすぎていると窮屈になります。例えば、会社の社長さんが大らかキャラだけだと借金が膨らむかもしれませんし、細かいキャラだけだと売上が上がらなくなる可能性が高いですね。また、真面目キャラ、普通の人キャラといった限定的なキャラを押し通している人も窮屈で、ある種の生きづらさを抱えています。

 私たちは会う人によってキャラが変わるのが自然です。言い方を変えれば、会う人にキャラを変えられているのです。ですので、気分よく過ごしたいのであれば、自分の好きなキャラを引き出してくれる人と多く会う機会を作っていけばいいのです。恋愛も相手の人が好きなのではなく、相手の人といる自分のキャラが好きな場合が多いです。逆に一緒にいて自分の嫌いなキャラを引き出してくれる人とは頻繁に会わない方がいいですね。ただ、嫌な気分にもなるけど会うたびに学びや気づきを与えてくれる人に会うことは、自分の成長につながると思います。私もそんな人に大変お世話になっています。ただ、毎日はキツイですね(笑)。

 心が成熟してくると、自分の中にある様々な感情・欲・キャラを認められるようになります。「矛盾を抱える力」「葛藤できる力」などが育ってきたとも言えます。そうなると、「○○は悪い」「○○は間違っている」という一面的な見方を脱して、ものごとを多面的に観ることができるようになります。自分が囚われていた「正しさ」を手放して、多様性を受け容れることができるようになるのです。ただ、そうはいっても二元論に逃げ込みたくなることもありますね。そんな時は「今の自分は心に余裕がないから二元論的に考えて自分を守っている」ということを自覚して受容していけばいいのです。そんな自分にダメ出ししないで、優しく受け容れてあげるのです。精神的余裕がなく「本当の自分」と「ウソの自分」に分けている状態も「本当の自分」ですから。

 池袋バランス力学整体院では、痛みなどの症状の改善を通して、心に余裕ができて自己受容力が高まるキッカケになれれば嬉しいと思っています。また、来院していただくことで気分がよくなったり、観たくなくて隠していた自分を直視できるようになったり、その人それぞれの素晴らしいキャラを引き出せる存在でありたいと思っています。そのためには、私がより成熟していくことが必要です。今後も世間が思う「整体の先生」にこだわることなく精進していきますので、本年も応援とご協力の程よろしくお願いします。

 『あなたがいつまでも元気でありますように・・・』
 
 最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!

池袋バランス力学整体院
院長 山本浩一朗
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