2020年ばらんすだより
Vol.1 「カラダの不調を遠ざける思考法」
こんにちは! 池袋バランス力学整体院の山本浩一朗です。
年が明けて1ヶ月ほど経ちましたが、新型ウイルスの情報が飛び込んできましたね。噂に触れる機会が増えると怖くなりそうですが、落ち着いて適切な行動をとることが大切です。感染症やこの季節から苦しむ人が増える花粉症にお悩みの方がいましたら、対策法をお伝えしますので、お声をかけてください!
さて、前回のコラムでは『日本人はなぜ依存的になりやすいか』をお伝えしました。必要以上に協調性を重んじる環境では、自立心が育たず依存的になりやすいものです。その環境の中で「情報」の摂取の仕方が大切だと。「ココに来てから、スマホをダラダラ見なくなりました」、「症状を改善した経験から情報の受取り方には気をつけています」……などなど、当整体院のプログラムを通じて情報の付き合い方が変わったご意見が多かったです。とてもうれしいです!
また、私の性格で「先生はとても客観的・俯瞰的に物事をみていますね」とも。そのような評価をされることはよくあるのですが、自分ではそんなに感じていません。ただ、協調性が低めとも思っていなかった自分に「協調性がない」と評価されたことがありましたので、自分のことは他人の方が見えていることもあるのでしょう。さらに、「先生の考えは哲学的だ」と言われることもしばしば。今回はそのような特徴を自分なりに分析してお伝えしたことを、ここでシェアさせていただきます。何かの参考になれば、うれしいです。
私が客観的に物事をみているようにみえるのは、社会通念を鵜呑みにしない習慣があることではないかと思います。ひと言でいえば「疑う力」。例えば、いま日本で常識のようにいわれている「不倫は悪い」。この情報に対して「本当かな?」と。
哺乳類で生物的に一夫一婦なのはわずか3%。私たち人間は生物としては一夫一婦ではありません。生物的に合わない一夫一婦を唱えだしたのは、貞操観念を重要視するキリスト教だといわれています。日本では欧米の文化を積極的に取り入れた明治時代に、一夫一婦制が確立されました。100年ちょっと前の話です。
動物の実験ですが、一夫一婦でない動物のオスは、パートナーと引き離されて別のメスと生活をさせられると、やがてそのメスを新たなパートナーにします。ところが一夫一婦の動物は、全く反応しないようです。人間のオスが無反応は難しいでしょうね(笑)。男性は理性をしっかり持って本能を抑えて生きなければならないので、一夫一婦制は男性にとってとてもつらい制度だといえます。
でも、「それも本当かな?」。一夫一婦ではない生物のメスは、欲しい遺伝子を持つオスとの子孫を残そうとします。一夫一婦制度が崩壊して「不倫=悪」という考えがなくなれば、女性は好きな男性を選ぶでしょう。実際、「私が結婚したい人はすでに結婚している。私は2番目でもいいのに」という女性が、日本でも少しずつ増えてきているようです。今の常識からすれば、「えっ?」って感じですが、生物的には素直な想いだといえます。また、フランスなどではそのような声に対応して、一夫一婦制を緩めたことで少子化対策にうまく対応しているといえます。
その視点でみた一夫一婦制を維持するメリットは、モテない男性にチャンスを与えることです(笑)。男女の比率はほぼ1対1ですので、一夫多妻制だと特定の男性に女性が集中するため、女性を必要とする男性にとっては過酷な社会になります。ですので、一夫一婦制は男性中心の社会で生まれた男性が余りづらい制度、つまり女性が好きなパートナーを選べないという、女性にとって非常に不利な制度といえます。
さらに「それって本当?」。ある研究では、不倫をしやすい遺伝子を持つ人は約5割といわれています。逆に言えば、人間の半分は一夫一婦にある程度は適応できるともいえます。子孫を多く残すには、一夫多妻制が効率的。しかし、いま私たちホモサピエンスは、地球の環境を維持するために、人間が増えないように遺伝子が進化している途中なのかもしれません。「これは飛躍した解釈かな?」……。
不倫に対する絶対的な正解はないと思いますが、このように自分の中に俯瞰するもう一人の自分をつくって対話する習慣が私にはあります。このような思考は「クリティカルシンキング」といわれています。まだ科学が発展していない時代では、「真実に近づく道は対話しかない」と言った哲学者ソクラテスの「対話」ですね。仮説を立てて矛盾を検証していくプロセスを通して、真実を探求しようとしていました。
常識と思われることと逆のポジションを取って対話を続けることで、物事の本質に近づいていくことができます。目の前にいる相手の意見に対して、逆の意見を何でもかんでも直接伝えるとトラブルになりかねないので、私は頭の中で対話するようにしています。もちろん自分の意見も同じように疑います。私が哲学的だといわれるのは、この「疑う思考」を習慣化しているからだと思います。
逆に「信じる思考」は宗教的。世の中では宗教的な信じる方がウケはいいですね。常識や社会的権威がある人の意見をただ信じることは、自分で考えなくてもいいので、ある意味ラクです。現代では自分で考えることをしないで、スマホで検索したりして誰かの出した正解を探して、その正解に沿って行動する習慣を持つ人、さらに学校のテストや仕事でも誰かの決めた答えやマニュアルがあることで、自分で深く考えることをやめている人が増えてきています。
ただし、常識などを疑いなく信じることは、痛みが伴いやすいです。例えば、前述した不倫。他の家庭の不倫の情報に触れて、「不倫は絶対ダメ!」とバッシングしている人は、「不倫=悪」という社会通念に単に従っているだけのケースが多いです。男性で強く批判している人は、モテないだけかもしれません(笑)。
正直ほかの家庭のことはわかりません。違法性を主張できるのは、家族だけです。日本では少数派だと思いますが、家庭内で不倫が許されているなら法的にもまったく問題はありません。ですので、他人がとやかく言うことではないのですが、一度も会ったこともない人を懸命に批判している人がいますね。
では、なぜ批判するのか? バッシングは他人のために時間使う利他的行為、つまりボランティアと同様の気持ちよさがあるからです。社会のつながりやシステムを優先する人は、常識など多くの人が信じる価値観と異なる人に対して排他意識が働き、批判することで「社会のためにいいことをしている」と自分に酔った感覚になりやすいです。脳からボランティアをしたときと同じ快楽物質が分泌されるので、中毒的になる人もいます。ただ、バッシングは他人だけでなく自分も傷つける行為ですので、後で気分が悪くなりやすいですね。他者を排除するような利他的行動と真の利他的行動とを見分けた方がいいです。
慢性的なカラダの悩みは、常識をなんとなく信じたことで痛みを伴う典型的な例の1つですね。バランス力学整体院の痛み改善プログラムは、多くの人が信じている常識とは違うアプローチですので、洗脳が解かれたように不調が改善する人もいます。現代は昔と違って科学が発展していますので、仮説を立てやすい環境です。宗教は信仰を持つと教義への批判は許されませんが、科学は批判する権利があり、気が済むまで検証を許されています。私の意見は科学を前提にしていることが多いですが、「もし科学が間違っていたとしたら」と疑って対話するようにしています。まだまだ未熟ですが、そうすることで皆さまに伝わりやすい意見に少しはなっているかなと思っています。
この自問自答して物事を多角的にみる「クリティカルシンキング」は、天賦の才ではないようです。IQの高さに関係なく、後天的でないと身につかない天才を超える可能性がある思考法ともいわれています。客観的かつ合理的に考える力で、仕事のミスや人間関係、金銭、健康など、人生のトラブルが少なくなるといわれています。IQは高いけど「疑う力」がない人が、冷静に考えればおかしい詐欺や新興宗教にハマったりすることもありますね。ただ「疑う思考」は、多くの人が幼少期にしていたことだと思います。「これってなんだろう?」、「なんでこうなるんだろう?」と。自分で問いを生んでいくことが、「生きる知恵」を生み出すために必要です。
現代の日本社会では、人の考えを疑うことは悪いことのように思われがちです。しかし、人の意見に疑問をもつことは、人を傷つけたり相手を否定したりしていることではありません。真実の追求や相手のことを深く知ろうとする行為です。私は自分を含めた人の考えや常識は鵜呑みにしないようにしていますが、自分を含めた人の存在は信じるようにしています。誤解を恐れずに言えば、この逆をしている人は相手に失礼だと思いますし、知的好奇心や人間的成長の放棄ともいえます。
ただ、どんな客観的な考えも主観だと心得ておくことも大事です。すべての考えは自身のフィルターを通していますから。また、社会通念がどんなに偏った考えでも、信じる人が多いことを理解しておくことも大切です。もちろん私自身も知らず知らずのうちに信じている社会通念は、多々あると思っています。気づいたら疑う習慣を続けていくことで、今後もご縁がある方々の悩みなどを解消するキッカケにつながれば、とてもうれしいです。
『あなたがいつまでも元気でありますように・・・』
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!
院長 山本浩一朗