2019年ばらんすだより
Vol.2 「自分が○○であることを許可する」
こんにちは! 池袋バランス力学整体院の山本浩一朗です。
この季節の花といえば、「桜」ですね。一斉に咲き、一瞬にして散りゆく様は、日本人の心に訴えかけるものがありますね。また、その様から人生は一瞬の積み重ねであることを教えてくれている気もします。さらに、他の目を気にすることなく、ただ自らの生命を全うする姿の美しさに感動させてくれます。私たち人間も一瞬一瞬をしっかり感じて、自らの生命を全うしていきたいものですね。
さて、前回のコラムでは、自分自身に過度に言い聞かせているプラス思考は、現実逃避志向だとお伝えしました。今回も多くのご感想をいただきました。「とても参考になった」、「今までで一番おもしろかった」・・・・・・などなど。特に、私の失敗例がおもしろかったようですね(笑)。
また、バランス力学整体院に来院される人の現実逃避の傾向は、「私は悪くない・マジメ・頑張り屋」という人が多いと伝えましたが、「以前は『自分は間違っていない』という考えに囚われていました」という人が数人いました。間違いがない人が現実にいないことは理解しているはずです。なのに、本気でそう想うと本人が苦しくなります。間違いが起こるたびに自分を責めたり、他人を責めて自分を正当化したりすることに時間やエネルギーを消費することになるので。現実をみれば、私たち人間の行動は間違いだらけです。もっと言えば、何が正解というのもありません。その事実を受け入れたうえで、正確性を高めることはそんなに苦しくならないケースが多いですね。そこで、今回は私がよく大切だと伝えている「自己受容」についてお伝えします。
「現実と向き合うことが大切」と伝えていますが、妄想や幻想がダメなわけではありません。私たち人間は、妄想できる能力がありますので、その能力を活用することは自然なことです。ただ、現実と区別することが大切だと思います。
例えば、私は瞑想をすると、「幻覚」、「幻聴」、「幻臭」を感じることがあります。火傷するような熱さを感じたり、縦笛のような楽器の音が聴こえてきたり、お香のにおいを感じたり・・・・・・。私は瞑想の先生から、「瞑想中に神や仏に遭遇したら、刀で切り捨てろ」と指導していただきました。これは曹洞宗の開祖・道元の教えです。座禅をする中で幻覚などを感じて、「神の言葉を聞いた」、「自分は悟りを開いた」、「自分は特別な存在だ」と勘違いして、崩れ落ちていく人生を歩む人がいるので、道元は「切り捨てろ」という強い表現で伝えていたのだと思います。私は先生の教えのお陰で、幻覚などを感じても、「おぉ~、きたきた」、「また脳が錯覚をつくっている」と客観的にとらえることができています。
幻覚などは人間の能力なので問題ありません。問題なのは、幻なのにあまりにもリアルなので、本当に起きている出来事として捉えてしまうケースです。こうなると幻覚の世界に入り込みすぎて、現実世界との区別がつかなくなる可能性があります。そして、瞑想や今注目のマインドフルネスなどを現実逃避の道具として使うようになりがちです。
幻覚などはわかりやすい例かもしれませんが、同じようなことを多くの人が行っています。例えば、「怒ることのない人間になる」、「不安を抱かない人間になる」・・・・・・。これは幻想ですね。私はそんな人にお会いしたことはありません(笑)。このような現実的でない目標を持つと、前述したように責めることが多くなります。 例えば、怒りや不安を感じたときに自分を責めてしまうでしょう。また、自分が見たくない怒りや不安を他人が抱いているように感じたときに、その人を責めてしまうこともあるでしょう。
私たちは物質的なものは、そのもの自体だと認識しやすいです。例えば、「花は花」、「車は車」。しかし、感情的なものには、そのものを認識しないことがあります。「勇敢でないといけない」と思っている人は、不安や恐れを感じていることを認めないですし、「心を広く持つべきだ」と思っている人は、怒りや妬みの感情を認めることが難しくなってきます。精神的な健康には、いま自分が感じていることを感じているままに受け入れて、現実を尊重することが必要です。
自分の気持ちを受け入れるためには、まず気づくことが大切です。いま「怒り」を感じていると。そして、そのことを認める。「自分は怒ってなんかいない」ではなく、「怒っているなぁ~」と。最後はそのことを許可する。「自分には怒る気持ちがあってもOK」と。私が考える「自己受容の3ステップ」を簡単にまとめると下記の通りです。
受け入れる=①気づく+②認める+③許可する
「アイツをボコボコに殴りたい!」、「アイツなんか死ねばいいのに!」といった気持ちを瞬間的に感じることは、まったく問題ないことです。しかし、このような気持ちを自分にはないものにしようとすると、溜まりに溜まった感情が爆発するなど自身の健康を保てなくなるだけでなく、他人も傷つけることにもなりかねません。例えば、お酒を飲んで「あぁ~酔った」と言っている酔っ払いと、周りから見ればどう見ても泥酔しているのに「まだ酔っていない」と豪語している酔っ払い、どちらが「たちが悪い」か、考えてみればわかりますよね(笑)。
自分が認めたくない感情を受け入れることは、自分が人間であることを受け入れることです。人間は不安を感じる生き物なので、生きている間は不安がなくなりません。というより、何も不安を感じない状態はとても危険です。自分の持って生まれた性質に逆らうことなく、まずは「自分は人間だ」という事実を自分に許可することです。そうすれば、人間以外のものになろうとはしないでしょう。「将来の夢はクジャクかバラになること」と私が本気で言っていると、おかしな奴だと思いますよね(笑)。また、バラは「なんで日本人に人気がある桜になれないのだ」と悩まないでしょう。同様に、「怒ることのない」、「不安を抱かない」、「幸せしか感じない」状態を目指していることは、人間じゃない何かになろうとしていることです。
そのような人は、その目指す状態を「自分らしさ」と言いながら、「人間らしさ」と闘っているのです。このように不可能なことを目指して現実逃避している状態が続けば、自尊心や自己信頼感などが育ちにくくなります。自分が人間であることを許すと、苦しみでも喜びでも自分がそのときに感じたままの感情を受け入れやすくなります。また、不安を感じるのが人間として正常だと思うと、強い不安を感じることが少なくなくなるものです。
ただし、受容の精神は万能薬ではなく、「すべてを完全に受け入れることができる」というのも幻想です。自分を受け入れられないこと自体を受け入れることも大切です。怒っているのに怒っている自分を認めたくない場合もあるでしょう。そのときは、「今の自分にはこの怒りを受け入れることができない」ということを受け入れればいいのです。人間ですから(笑)。
さらに言えば、すべての感情に気づくことはできません。人間にはどうしても受け入れがたい感情に向き合うことを避け、自分を守ろうとする防衛本能があります。なので、そのような感情には気づくことすらできません。気づけないことの方が圧倒的に多いのです。なるべく意識的に気づける方が生きやすくなるだけですし、気づけた感情は許可した方が健康を得やすいだけです。
バランス力学整体院では、悩んでいる症状に対して、「嫌だけどあってもいいよ」と許可することをオススメしています。「痛みのないカラダ」を手に入れることは幻想ですし、私たち人間は不安と同じようにカラダに痛みを感じないと生きていくことが難しくなります。痛みやその痛みを感じるようにできているカラダ自体が敵ではありません。カラダは私たちが一生付き合っていくパートナーです。ただ、痛みで苦しんでいるときは、自分一人で症状を受け入れることが難しい場合が多いと思います。
しかし、当整体院のプログラムを通して、「人間のカラダは痛みを感じる」という事実を受け入れた人は、痛みを感じることが劇的に少なくなっています。この経験を活かして、仕事や家庭の人間関係などに応用している人もいます。ですから、「ココに来てから人生が変わった」と言われる人が多いです。
では、なぜ変わるのか? 変わるためには、まず自己受容が必要だからです。自分自身が気づけていないことを克服することはできません。あると認めていない問題を解決することはできません。感じていることを許可できない苦痛を癒すことはできません。ただ、私たち人間は、すべての体験を認めずに拒否することもできます。その方が今まで通りで変化もなく、ある意味ラクかもしれません。実際、そのときだけ少し楽になる施術の方がニーズは高いですね。
しかし、「痛みで苦しむ体質を変えたい」といった気持ちで、当整体院のプログラムを続けた人は、勇気があると思います。今まで拒否していたことを受け入れることは、慣れるまでは怖いし嫌な気分になることもありますから。本当に素晴らしい人たちに当整体院を利用していただいていると思います。とてもありがたいことです。
今後もバランス力学整体院は来院される人が体質改善する際に感じる恐怖心や不安を、少しでも和らげるサポートをしていきます。もちろん、まったく感じないようにすることはできませんが・・・・・・(笑)。
『あなたがいつまでも元気でありますように・・・』
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!
院長 山本浩一朗