Vol.2 「天職はあなたのカラダが教えてくれる」
こんにちは! 池袋バランス力学整体院の山本浩一朗です。
首都圏に適用されていた「まん延防止等重点措置」が解除されますね。繰り返しになりますが、心身の健康のためには自粛生活はよくありません。さらに今は新型ウイルスや戦争のニュースが多く、メディアばかり視聴していると不健康になる可能性が高まります。自粛気味の生活や過度な情報にお疲れの人は、桜を見ながら散歩してみるのもいいでしょう。また1度も行ったことがない人込みの少ないエリアで、携帯端末の電源をオフにして、ボーっと桜を眺めるのもいいですね。一斉に咲き、一瞬にして散りゆく桜の姿は、ただ自らの生命を全うする美しさを感じさせてくれます。私たち人間も一瞬一瞬をしっかり感じて、自らの生命を全うしていきたいものですね。
さて、前回は『科学的根拠を求めない日本人の気質』をお伝えしました。「遺伝子的に敏感なゆえに、変化やリスクを極端に嫌い、互いに周りの目を気にしすぎる傾向がある。だから科学的根拠より、社会通念を優先しがち。周りと歩調を合わせることで、人口密度の高い集団生活の平和がその瞬間は保たれる、逆にいえば自分が追い出されないように自己防衛しているともいえる」と。
「日本人、東アジア人の特徴がわかりやすかったです」、「新型ウイルス対策の傾向は、東アジア人の気質が顕著にでていますね」……などなど、ご感想ありがとうございます。また、「仕事の向き不向きをアタマでなく、カラダで判断するということを詳しく教えてくれませんか?」といったご質問も。今回はその際にお話しした「自分に合った職業」についてお伝えします。
前回のコラムで、「『自分は何に向いているのだろう?』と自分の気持ちに向き合うよりカラダをみた方が、正確性が高いケースが多い」とお伝えしました。そこで、皆さまが共通して知っている私を例にしてみましょう。例えば身長180㎝超の私が、身長制限があるボートレーサーを目指して努力しても、報われませんね。また暑がりで汗かきな私には、調理師は厳しいでしょう。逆にいえば、そんなことをやりたいと思ったことがありません。一時的に憧れたとしても、自分のカラダに合っていないことは、心の底から「なる気」にはなれないでしょう。
また、前回お伝えしたように敏感な遺伝子を持つ人が多く、性格的に内向的な傾向があるため勤勉な人が多い私たち東アジア人は、専門職で活躍するケースが多いように、遺伝子や性格で向き不向きはあるでしょう。「努力するのも才能」といわれるように努力できるかどうかは、カラダの一部である脳の構造で決まっているといわれています。努力できる人は、報酬や成果を感じる脳の機能が高い人。報酬を予測するだけで、脳内で多くの快楽を得ているようです。だからといって努力が苦手な人が、ダメなわけではありません。努力が苦手な人は、損得を冷静に判断できる人。報酬予測の機能があまり働かない代わりに、ムダな努力をしない傾向があります。逆に努力できる人は、ムダな努力でも続けられる傾向があるのです。
さらに、米国ミシガン州立大学の研究の調査結果では、「優れた才能は、その技能を獲得するために必要な長時間の努力ができるよう、遺伝子にプログラミングされている」と発表しています。一流と呼ばれる人が、他人から見れば「なんでここまでやるのか」というほど、自分を追い込んでいる姿を目にしたことはあるでしょう。これは、遺伝子的に才能があるものには、努力を苦と思わず楽しみに変換できるようになっているから。楽しみを感じられることは、さほど努力と感じることなく、長時間没頭した経験がある人は多いと思います。まさに「好きこそ物の上手あれ」のことわざの通り。基本的には、人は自然に自分のカラダや遺伝子に合った職種を選び、無理なら環境を変えるようにしているのだと思います。
だからなのか、「自分らしくやりたいこと・好きなことをやろう!」という風潮があるのかもしれませんね。個人的には、この風潮を歓迎しています。ただその言葉を読み違えると、自身の感情に振り回されることになりがち。「やりたいこと」というものは、その時々の気分によってコロコロ変わるものですし、時代の流れでも変わっていきます。
例えば、「なりたい職業」。私の幼少期に、「ユーチューバー(動画投稿者)になりたい!」と将来の夢を語っている人は、誰もいませんでした(笑)。「職業」というのは、環境や時代によってつくられていくものです。その時々の感情やアタマで考えた「やりたい職業」より、まず先述した通り自分に能力があるもの、つまり長時間没頭できることを見つけることの方が大切。現代では「好きこそ物の上手なれ」ではなく、「上手になれることは自然に好きになる」と考えた方が、自分を見失う可能性が低くなると思います。
そして一人ひとり能力があるものは、「動詞」で表現できると私は考えています。アタマではなく、カラダを動かす「行動」に自身の個性や才能が見られるケースが多いです。例えば、私自身が没頭できるのは「教える」。これは遺伝的な傾向があるのだと思います。私の父の家系は教育一家。ほとんどの人が教師や教授になっています。幼少期の私はそんな親戚たちをみて、「教師にだけはならない」と決めていました。愚かなことに、遺伝子に抵抗していたのです(笑)。
父親が家にいない家庭で、私と同居していた父方のおじいちゃんの影響も強いと思います。おじいちゃんは小学校の校長先生でしたが、もともとは美術と数学が専門の教師。体育や芸術的な科目は生まれつきの能力がわかりやすいですが、学力で能力の差が出やすいのは数学。私は学校で習う覚えるだけの勉強に、興味が持てませんでした。しかし、論理的に考えないと解けない算数は大好きでした。クイズのように難問を解くことを楽しんでいました。これは遺伝的なことが関係しているのでしょう。さらに、母方のおばあちゃんは茶道の先生。この2人が私の名づけの親。2人の遺伝子を引き継いだのか、現在の私は整体の先生。あれだけ抵抗したにもかかわらず・・・・・・(笑)。もちろん先生業ではなくても、「教える」職業であれば没頭できたのでしょう。
また自分の能力の限界が迫ったときは、カラダが教えてくれました。学生時に打ち込んでいた野球では、自分の才能を高く見積って、「できる」と無理をして故障を繰り返し、野球を続けることができなくなりました。会社員時代は自分の精神力を過信し、自分の感情を無視して「大丈夫」と我慢を重ね、慢性的なカラダの不調に悩む日々を送っていました。振り返ってみると、故障で野球の才能がないことに、さらに慢性的な症状によって、現時点で最も信頼度が高いといわれている性格診断の通り、組織で働くことが性格的には不向きなことに気づかされたのだと思います。別の道にカラダが導いてくれたのだと。やはりココロの声はアタマで考えてごまかせますが、カラダの声はごまかしが効かないですね。
また家系をみてもわからない人は、他人から頼まれることにヒントがあるケースが多いです。自分自身のことは、本人より周りの人の方が見えている場合が多いですね。「いつも同じような依頼が多いなぁ~」ということがあれば、それは信頼されて任されること、つまりご自身に才能がある可能性が高いです。期待に応えられるように頼まれごとを懸命にやり続けた結果、一気に能力が発揮された話は聞きますね。他人からよくある依頼を「動詞」に変換すると、自分では気づいていない隠れた才能がみえてくることもあります。
私自身はありがたいことに、このコラムを皆さまから頼まれて書き続けることができています。先述したおじいちゃんの弟が、教師を定年後に作家だったことが関係あるのかもしれませんが、皆さまの依頼で自分の想いなどを言語で「書く」「表現する」ことを続けられています。「動詞」で自分の才能や適性を活かすことを考えていると、時代の流れで偶然的につくられる職種にこだわらなくていいでしょう。もちろん、仕事は趣味に没頭する生活のための一つの手段という考えでもいいですね。自分の欲求を実現したい価値観に変換し、自ら没頭できる「動詞」を中心に行動することが大切だと思います。
バランス力学整体院での私は、「教える」というより「導く」の方が適切だと思っています。当整体院の価値観の通り、カラダの悩みを2人3脚で根本的に解決することで、一人ひとりの「生活の質と幸福度が向上した状態」に導くこと、さらにいえば現状より少しでもその状態になるキッカケになれるようにサポートすることです。私は、痛み改善プログラムを実践中の人に対しては「トレーナー」であり、アフターケアコースの人に対しては「サポーター」。「先生」という呼ばれ方は、単なるあだ名です(笑)。
おかげさまで、「通院して自分の適性がわかり転職しました」、「以前は仕事に不満だらけでしたが、今の仕事が自分に合っていることに気づけました」とか、「マジメだったからか何事も楽しめなかったのですが、ココに来てから新たな趣味をはじめて、生活が充実しています」とカラダの悩み以外のことでも、うれしい変化のご報告をいただいています。私にとっては、とても喜ばしいことです。今後も皆さまの生活の質と幸福度を今より少しでも向上できるように、私の「導く」能力を発揮することに没頭していきます。そのためにも、引き続きご協力よろしくお願いします。
『あなたがいつまでも元気でありますように・・・』
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!
院長 山本浩一朗