Vol.6 「あなたにとって、ちょうどよい自由」
こんにちは! 池袋バランス力学整体院の山本浩一朗です。
朝夕が涼しく肌寒く感じられるようになりましたね。この時期は、着る服を選ぶのに困っているということをよく耳にします。しかし、私たちに天候を変える力はありません(笑)。変えられないことを心にまで持ち込むとストレスを感じて疲れやすくなります。天候に合わせて変えられるのは私たち人間です。寒さへの不安が強い方は、体を温めるもの――例えば手袋やマフラー、カイロを常備すれば、気持ちが安定するかもしれませんね。自然と調和することを楽しんでいきましょう!
さて、前回のコラムで「抑圧された欲求や感情は、あなたが持っている自分らしさのカギ」とお伝えしましたが、いかがでしたか? 嬉しいことにご感想やご質問をいただきました。その中で、「そもそも、なんで私たち人間は自分の感情を抑圧するのでしょうか?」といったご質問をいただきました。そのときに私なりの回答をお伝えしましたので、今回はこのコラムでシェアさせていただきます。
私たち人間は、多かれ少なかれ自分の感情を抑圧して生きています。心理的な抑圧は、容認しがたく、そのままでは葛藤することになる不快な観念や記憶などを無意識のうちに押し込めて意識しないようにすることです。葛藤が起こるのは、私たち一人ひとりが独自の文化に支えられているからです。いま住んでいる国、地域、そして家、それぞれの文化活動の妨げになる精神活動は意識から遠ざけられて維持されます。すなわち、抑圧は文化への適応です。
例えば、警察官は「日本の警察官」という文化に適応しようとする人が一般的です。「警察に所属し治安維持を主とした職務を遂行する公務員」という枠に自分を入れてしまうわけです。さらに、個人的な「警察官として○○であるべきだ」といった考えに自分を縛りつける人もいます。その役割の妨げになる感情が湧いても受け容れず、自分自身をある役割に閉じ込めることで抑圧が始まります。
これは、私たちのほとんどの人にあることです。『「社会人として」、「男(女)として」、「妻(夫)として」、「親として」・・・・・・○○であるべきだ。』 このように文化への適応が強くなり過ぎると、本人がある役割で受け入れない部分の抑圧が強くなり、不自由になります。つまり、文化の硬さが抑圧の強固さを生み出すのです。
多くの人は、「自由に生きたい」という憧れを持っていると思います。しかし、同時に、「自由から逃れたい」という気持ちも多くの人は持っています。というのも、積極的に自由に生きることは大きな勇気や覚悟が必要になります。すべて自分で考えて選んで、その選択に対して責任を引き受けて生きるからです。そして、自由に生きると耐えがたいほどの孤独感や不安に直面します。
反対に自由をあきらめる生き方はある意味ラクです。人は自由に伴う責任や孤独感・不安から逃れるために、何かの権威に依存したくなります。自分の外側(組織、慣習、制度、社会通念、国家、権力など)に寄りかかり、その中に自分を没入させる生き方です。例えば、カリスマ的なリーダーと評される人から、「このように生きればよい!」という答えを与えてもらいたくなるケースもあります。答えを与えてもらうことで、自らの葛藤から逃れることができ、思考停止というぬるま湯につかった状態に甘んじることができるわけです。多くの人が自由をあきらめる道を選びますが、ある意味無理もないことだと思います。
ただ、自由をあきらめる生き方が行き過ぎると苦しくなります。大きな力に自らを服従させ、自分自身を小さい弱者にしようと努力して、無力感や劣等感を味わうように自ら仕向けている状態になるからです。自分で何かに寄りかかっておきながら、「つまんない」、「管理されるのは嫌だ」、「もっと自由が欲しい」といった愚痴を言い、自ら無力感や劣等感を創り出し味わっているのです。さらに、このような状態の人が親とか組織のリーダーなどになると、やたらと権威を振りかざして管理したがる傾向があります。「あなたも自由をあきらめろ!」と勧めているように「ああしなさい、こうしなさい」と干渉し過ぎてしまいます。
私自身は、「治療家の先生」っぽくないとよく言われます。その理由はいろいろあると思いますが、「治療家として患者さんを治さなければならない」といった想いが少ないからだと思います。もちろん「よくなって欲しい」という欲はありますが、単なる私のワガママな想いとも思っています。ですので、当整体院では、治療家の先生である私への寄りかかりの傾向が少ないと思います。
多くの治療院では、通院して症状がよくなったら「先生の手は神の手だ!」、よくならなかったら「この先生はダメだ!」と患者さんが判断する傾向がありますね。当整体院でプログラムを受けたほとんどの方が症状を改善していますが、私に「神の手だ!」といったようなことを伝えてくれた方は一人もいません(笑)。お互いどこまでが自分の責任であるかが明確ですので、健全な協力関係が築けているのだと思います。皆さまが自分の体をよくすることを自分の責任として捉えていますので、ご自身の心身に自信を取り戻す方が多いです。ですので、あえていえば、「よくなったのは自分のカラダの力(治癒力)のおかげ」って感じですね。
また、治療家っぽくない私は自由に生きているようにみられることがしばしばあります。では、私は自由な生き方をしているのかと聞かれたら、そうでもありません。日本の文化に寄りかかって生きています。例えば、資本主義はそろそろ限界かなと思っていても、日本の貨幣制度を変えて新たなシステムを構築するような行動はしていませんし、する気もありません(笑)。「常に自由な生き方を選ぶべきである」、「どんなときも権威に従うべきではない」、そういった偏った考え方はあまり現実的ではないと思っています。また、そのような考え方に囚われてしまうと、逆に不自由な生き方になってしまうと思っています。
自由な生き方を選択することは、大きなリスクを伴うときがあります。自分の大切なもの――例えば家族などを守るために、ときには妥協して組織や制度などの社会的な権威に従うことが、賢明な選択になる場合もあると思います。あるときは勇気をもって自由な選択をする、またあるときは自分の大切な何かを守るためにあえて権威に従うこともする、そんな臨機応変な生き方をしていきたいものですね。
では、自分にとってちょうどよい自由の加減さの基準はあるのでしょうか? これは心身が教えてくれます。現代の日本で慢性的な心身の不調が多くなっているのは、不自由になり過ぎている人が多いことが一つの要因になっていると思います。様々な権威や規則、さらには洪水のように溢れている色々な情報に依存し過ぎていることが、心身で表現されているのだと思います。自由・不自由の行き過ぎは、心の痛みや身体の痛みなどが教えてくれます。苦しさを味わうことは人生でよくあることですが、一人ひとりにその時々の許容範囲があると思います。心身の不調に現れているときは無理をしすぎて不自然な状態だと思います。
ですので、当整体院で慢性的な症状を改善された方は、「以前より自由になった!」といわれる方が多いです。症状を改善する過程で、今の自分にはもう不要になった信念・こだわり・情報などを手放すことで、不自由さから解放されているのだと思います。それを間近で観させていただいている私は幸せ者ですね。
今後も皆さまの健康を応援することで、一人ひとりがその時々のちょうどよい自由さ・不自由さを味わえるキッカケになれるようにお手伝いしていければ、とても嬉しいです。また、そのようなお手伝いができる人とのご縁がもっと広がっていけばいいなぁ~と願っています。「治療家の先生」っぽくない私ですが、引き続きよろしくお願いします。
『あなたがいつまでも元気でありますように・・・』
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!
院長 山本浩一朗